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2004年01月03日

プロフィール

林歯科医院のホームページ管理者・副院長の林春美です。

私は、昭和34年、1959年8月13日に北海道美唄市に生まれました。
美唄市は炭鉱の町、私の父は三井美唄鉱山に勤める電気技師でした。私が4才のとき美唄の鉱山が閉山となり、家族は福岡県大牟田市、三池炭坑節で有名な三池へ転居する事になりました。

幼稚園から高校卒業までは大牟田市で過ごしました。
中学の頃、母が若い頃看護師をしていた関係で、母の友人でばりばり婦長さんをされていた方にお会いしたのがきっかけで、大人になったら「資格があってやりがいがあり長く続けられる医療関係の専門職になろう」と思うようになりました。

勉強ができる男の子は高校から函館のラサールや、久留米の久留米大付設に進学するような勉強熱心な土地柄で、中学時代は週に4回塾に通い、その傍ら友人に誘われて美術部で絵を描いたりしていました。書くとハードなようですが、のんびりした田舎の中学生活でした。

高校は、2006年読売巨人ジャイアンツ監督に返り咲いた原監督のお父様が甲子園で優勝させた事で有名な「三池工業高校」と間違えられる事が多かった「三池高校」に進みました。地元の進学校です。
在学中は、薬学部か医学部に進めたらと思い、受験勉強をしていました。歯科医師を意識したのは、高校3年の個人懇談の際、担任の先生に勧められたのがきっかけです。

今思うと歯科医師がどんな仕事かはわかっていなかったのですが、手先の仕事が嫌いではない事、体力的に当直があるような仕事は勤まらなかったであろう事を考えると、歯科医師という選択は間違っていなかったのではないかと思います。
ただ、当時思っていたのに比べると、進学し実習を始めてみると、手先の仕事が嫌いではなかったのですが、思ったより不器用で愕然としました。

大学からは北海道に戻り、北大歯学部を卒業後、小児歯科学講座に所属、3年間医員として勤務いたしました。

卒業3年目の春、そろそろ大学を退職し勤務医への道を考えたいと思っていたとき、妊娠の発覚。発覚から1週間で入院、退職、出産、育児というルートをたどって1年間歯科医療から遠ざかる事になりました。

卒業4年目の春からは、アルバイトで7ヶ月間先輩の産休要員として病院歯科の小児歯科を担当。先輩の復帰を待ってアルバイトを終了。1年後に旭川での開業が決まったため、再就職することなく、運転免許の取得をしたり、公園デビューをしたりと専業主婦生活を満喫した後、平成元年10月の開業と同時に歯科医療の世界に戻りました。

それからは、子供の成長にあわせて診療時間を増減しながら旭川市・林歯科医院の小児歯科を担当してきました。6〜7年前からこのホームページを運営しているのですが、一時期飽きてほったらかしにしていたこともあります。ここ1年半くらいはずいぶん頑張って運営していると思っています。

若い頃は文章を書いたり絵を描いたりするのが好きだったので、こういう事をするのは苦にならず、むしろ好きな方です。2006年は子供の高校卒業を迎え、18年ぶりにお母さん業を卒業する予定です。これからが私の第三の人生と思って、充実した歯科医師人生にしたいと思っています。